2011年08月08日

ジョー山中さん肺がんのため死去

ジョー山中(本名・山中明)さんが7日午前6時56分、肺がんのため神奈川・横須賀市内の病院で死去した。64歳だった。昨年2月に肺がんが見つかり、手術せずに放射線や抗がん剤治療を続けていたが、先月19日には一時心肺停止状態に陥り、容体が心配されていた。11日に前夜式(通夜)、12日に葬儀・告別式が営まれる。

ジョー山中さん
 日本のロック界の先駆者だった山中さんは、最期までロックな生き方を貫いた。肺がんが見つかったのは昨年2月。同年3月に、自身のホームページでステージ3(転移がない段階)であることを公表した。「歌を取ったら人生、何も残らない」と手術を拒み、抗がん剤や放射線治療を続けてきた。今年3月には、盟友の内田裕也(71)らと東日本大震災の被災者支援のための募金活動に参加し、歌声を響かせていた。

 昨年9月に神奈川・鎌倉市内の自宅が全焼したが近くに家を見つけ、横須賀市内の病院と、内田の妻で女優の樹木希林(68)から紹介された鹿児島市内の病院を行き来し、入退院を繰り返していた。今年7月19日には一時心肺停止に陥り、危険な状態が続いていた。この日朝、容体が急変し帰らぬ人となった。5月5日に東京・原宿クロコダイルで行ったライブが最後のライブとなった。

 関係者によると、鎌倉市内の自宅には悲報を聞いた関係者が弔問に訪れ、親族は気丈に対応していたという。

 山中さんは1968年に「フラワー・トラベリン・バンド」にボーカルとして参加。日本にロック文化が根付く前の70年から一貫して英語詞でロックを歌い続け、米国、カナダでも公演。日本のバンドで初めて海外に進出した先駆者となった。73年に解散したが、熱狂的ファンの要望に応え、2008年に再始動。野外フェスなどに出演し、同年9月には35年ぶりにアルバムを発表した。

 また、単身で米国に渡り、日本のレゲエの第一人者としての地位も獲得した。

 最も山中さんを有名にしたのは77年の映画「人間の証明」。黒人青年役で出演し、英語で「♪ママ〜・ドゥ・ユー・リメンバー」で始まる主題歌「人間の証明のテーマ」は50万枚のヒットになった。その後、映画「戦国自衛隊」の挿入歌や「あしたのジョー2」の主題歌も手がけた。独特の風貌を生かし、俳優としても「座頭市」「エロティックな関係」などに出演した。

 ジャマイカ人兵士と日本人のハーフ。貧しい家庭に育ち、養護施設を出て3年間、プロボクサーとしてリングに立ち、芸能界でも“武闘派”として知られた。77、86年には大麻取締法違反で逮捕。私生活でも話題が絶えなかったが「オレは逆境に立つほどファイトがわく」と話し、再起を続けた。

 近年は、海外でのボランティア活動をライフワークとし、“戦争孤児”として育った経験から「子どもたちの安らぎと希望になれば」と、歌声を届け続けていた。

3オクターブの証明

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