森繁久彌 今さらながら 大遺言書

大往生だった。森繁さんはこの日朝、都内の病院で次男や孫など愛する家族にみとられ、苦しむことなく眠るように、96年の生涯に幕を下ろした。関係者によると、遺族は、密葬のため親交のある芸能界の知人らの弔問を辞退しており、11日に都内で会見。後日、お別れの会を行う。
森繁さんは7月下旬に風邪による体調不良で都内の病院に入院。熱やたんなどの症状が出たため、回復しても大事を取り入院生活を続けていた。当時、関係者は「高齢で、気候も不安定なので、家にいるより、病院の方が安心だから」と説明。9日までは元気な姿を見せていたが、退院して東京・世田谷区の自宅に戻ることはかなわなかった。
長い下積みを経て、戦後映画界入り。1955年公開の「夫婦善哉」で注目を集めた。憎めないぐうたら息子役で「おばはん、頼りにしてまっせ」のせりふは流行語に。「社長」シリーズは高度成長の日本を象徴する人気作品だった。喜劇からシリアスな芝居まで幅広い芸域で、91年には大衆芸能の分野で初の文化勲章を受章した。
73年に及ぶ芸能生活。盟友だった芦田伸介さん、三木のり平さんらの後輩俳優を次々に失うたびに「おれも間もなくそっちに行くから、席をあけて待っていてくれ。生きていることがこんなに悲しいこととは…」と涙を流し続けたシゲさんだったが、仕事への執念は死の直前まで衰えることはなかった。
俳優としてこだわり続けたのが「朗読は役者の原点」と大事にしてきた朗読劇だった。57年にスタートしたNHKラジオ第一「日曜名作座」は加藤道子と共演。1度の休みもなく40年以上もお茶の間のファンを楽しませてきた。極度の疲労で92年の舞台「狐狸狐狸ばなし」を降板したが、この時も静養先の神奈川・湯河原町の療養ホームから東京・渋谷のNHKまで収録にかけつけるほどの執念を見せた。
病とも懸命に立ち向かってきた。2000年の年明けの1月22日に腹痛を訴えて都内の病院に緊急入院。胆管結石の疑いで17日間の入院生活を終えて退院した2月8日。森繁さんは所属事務所を通じてコメントを発表した。
「人間は病には勝てません。お医者さまの指示どおり一生懸命言われたとおり、3日間何も食べずに点滴だけで養生しました。17日間の病院生活は大いに得るところがありました」と闘病生活を告白した後、「このへんでおさらばさせていただいてもおかしくない年ですが…」とユーモアたっぷりに健在ぶりをアピールした。病室では短編小説を書き、自宅に戻ってからも精力的に机に向かっていたという。
大正、昭和、平成の3時代を生き抜き、多くのファンを魅了した大スターが、天国へと旅立った。













